駿府城を愛する会


TOP
what's new
駿府城を愛する会とは
公開資料
会員募集
事務局・アクセス
リンク集
お問い合わせ
家康公が愛したまち静岡

■駿府城探検 報告記

「家康公の政治外交の舞台だった本丸御殿跡を探検しよう」(幹事対象)(令和6年6月1日)

今回の駿府城探検は、本会とI Love しずおか協議会(以下「あいらぶ」という。)、静岡市歴史博物館(以下「歴博」という。)との共催及び静岡市歴史文化課(以下「歴文」という。)による協力支援の事業で実施しました。 ガイド役は、常葉大学法学部3年の溝渕未祐さんと彼女をサポートする同大学法学部丸岡ゼミの学生6名で構成されました。それを補助支援するスタッフは、本会の久保田副会長とあいらぶ・おまちヒストリア研究会の谷さんと池谷さんで、それらを監修したのが歴博の廣田学芸課長と歴文の松下係長という顔ぶれでした。さらに、当日の警護や一般訪問者との調整をあいらぶの村松幹事長、熊野事務局長等の関係者が担いました。これに対して、参加した児童は、静岡市立葵小学校の6年の3名とその保護者でした。 9:45に歴博の1Fに集合し、10:00から同1Fのオープンスペースにおいて開会式を行いました。主催者を代表して本会の久保田副会長が挨拶をし、司会からガイド役の学生と補助支援スタッフ等を紹介されました。その後、ガイド役を代表して溝渕さんから今回の事業概略についてビジュアルな説明があり、それを廣田学芸課長と松下係長が補足説明しました。最後に、参加してくれた葵小学校の児童の皆さんを紹介し、いよいよ探検が始まりました。  まずは東御門・巽櫓について。建物自体は平成時代に建てられたものですが、史料に基づいて当時の建物を再現したこと、監視塔と武器庫を兼ね備えていることが説明されました。 この説明の文章は溝渕さん自身が練って考えたものです。隣では常葉大学の有志の学生が手作りのビジュアル資料を示してくれました。周りでも有志の学生が小学生とその保護者の安全に配慮をしてくださいました。



東御門は高い地位にある武士の入り口だったところ。大名や外国人使節団もこちらから入りました。「エライおさむらいさんになった気持ちで入ってみましょう」という溝渕さんの言葉に小学生やご両親も楽しそうな表情を浮かべていました。 東御門から二の丸に入っていくと、すぐに本丸掘に阻まれ、迂回させられるだけで、このお城の持っていた仕掛けに驚きました。ここで、溝渕さんが考えたクイズが好評でした。「この場所には何があったか?」今とは全然違う様子に思いを馳せます。



それから、玄関前御門を想像しながら本丸に入り、本丸御殿の表・中奥・奥の説明を受けました。特に関心がもたれたのは、「家康公はどこで亡くなったか。つまり、寝所はどこだったか。」です。いつもただの花壇として見ていた場所が実は生活スペースである「中奥」にある寝所=寝室だったと知り、参加者の皆様はより興味を抱いていたご様子でした。

v


最後のゴールは天守台跡。戦国時代の天正期と将軍引退後の江戸時代の慶長期に作られた天守が同じ場所に立っていたこと、またその跡が同じところで今なお見られることが大変珍しいことなどの解説を聞き楽しみました。そして、駿府城天守の壮麗さが想像できる素晴らしい体験となりました。発掘現場を見ることにより、この街にこんなに素晴らしいものがあると児童たちも実感したことでしょう。



最後に「発掘情報館 きゃっしる」にて、木製模型メーカーのWoody JOEさんによる精巧な駿府城天守の模型を見て、そのスケールの大きさと特殊な環立式天守(天守丸構造)を観察し、いかに家康公の権威が大きかったのかを学ぶことができました。



6月に入り、天候を心配しましたが、晴天に恵まれて、ガイド役の学生は準備してきた教材を駆使し、一生懸命に伝えようとしていました。また、参加してくれた児童とその保護者の皆さんも、学生の話に熱心に耳を傾け、本丸御殿跡を楽しそうに探検して、家康公の人物像に関心を持ってくれたのではないかと思いました。静岡の人は、よく「駿府城には巽櫓や坤櫓のような立派な櫓があるのに、お城がないからねえ!」と言います。でも、お城は天守閣だけではありません。今回歩いてみて、なんと広いお城なんだろうと感じました。トライアルでしたが、関係者の方々のご尽力に、心から感謝申し上げます。本事業の今後の発展が期待される半日でした。


(文責・事務局長 木宮岳志)